パステルデナタ ( Pastel de nata ) の歴史

パステル・デ・ナタは、単なるお菓子ではなく、ポルトガルの修道院菓子の象徴であり、その歴史が密接に結びついた美食の宝です。その起源は18世紀、大航海時代の富と権力を象徴するベレンの壮大なジェロニモス修道院にまで遡ります。

レシピ開発の経緯:必要性から生まれた創意工夫

当時のポルトガルの修道院では、卵の白身が日常的に大量に消費されていました。修道士や修道女の服や襟を糊付けしてパリッとさせるために不可欠であり、またポートワインなどのワインの清澄化(澱引き)にも重要な役割を果たしていました。このため、膨大な量の卵黄が余ってしまいます。ポルトガルの食文化史家アルフレード・サラマーゴ氏のような専門家は、次のように解説しています。

「修道院菓子は、創意工夫と必要性から生まれた最も崇高な産物です。ブラジルからもたらされる砂糖や東洋のスパイスといった貴重な材料を優先的に手に入れ、大量に余る卵黄を前にして、修道女や修道士たちは台所を甘い錬金術の実験室へと変えました。無駄は許されず、創造は芸術だったのです。」

こうした実用性と創造性が交差する環境の中で、ジェロニモス修道院の修道士たちはそのレシピを完成させました。卵黄を牛乳、砂糖、そしてほんの少しのレモンとシナモンと混ぜ合わせ、ビロードのようなクリームを作り、それを薄くサクサクとしたパイ生地で包みました。この食感こそが、他にはない特徴となったのです。

革命と存続:秘密のレシピが修道院の外へ

歴史の大きな転換点は、1820年の自由主義革命によってもたらされました。この革命は旧体制を揺るがし、1834年にはポルトガル国内の全修道会の廃止令へと至ります。生活の糧を失う危機に直面した修道士たちは、生き残るため、修道院に隣接するサトウキビ精製所の小さな売店でこのお菓子を売り始めました。

修道院の完全閉鎖を前に、この秘伝のレシピはブラジルから帰国したポルトガル人実業家、ドミンゴス・ラファエル・アルヴェスに売却されました。1837年、彼は修道士たちが菓子を売っていたまさにその場所に**「Fábrica dos Pastéis de Belém(パステイス・デ・ベレンの工場)」を開業しました。今日まで変わることなく受け継がれるそのレシピは「Oficina do Segredo(秘密の工房)」**と呼ばれる特別な部屋で調理されています。ポルトガルの新聞Públicoの記事によれば、「そのレシピは国家機密のようなもので、代々の菓子職人のみに受け継がれ、彼らはそれを漏らさないという責任誓約書に署名する」とされています。

世界的な名声に至るまでの普及要因

パステル・デ・ナタが国民的、そして世界的な象徴へと登りつめた背景には、いくつかの要因が重なっています。

  1. 19世紀の立地と観光: リスボン観光局の資料が示すように、19世紀にはベレンがリスボン市民や初期の観光客にとって人気の目的地となりました。人々は蒸気船に乗って大航海時代の記念碑を訪れ、「パステイス・デ・ベレン」は必ず立ち寄るべき場所となり、焼きたての温かい菓子を味わう体験がその名声を不動のものにしました。
  2. ポルトガル世界博覧会 (1940年): 当時のエスタード・ノヴォ体制がポルトガルの歴史を称えるためにベレンで開催したこの大規模な博覧会は、国内外から何百万人もの来場者を集めました。多くの人々がこの博覧会でパステイス・デ・ベレンと出会い、その味の虜になりました。これにより、この菓子は国民的アイデンティティと誇りの象徴として確固たる地位を築いたのです。
  3. 国内での広がりと進化: 20世紀半ば以降、リスボンをはじめとする全国の菓子店が「パステル・デ・ナタ」として独自のバージョンを作り始めました。オリジナルのレシピではないものの、その多くが高い品質を誇り、このお菓子はポルトガル中のカフェで日常的に楽しまれる存在として根付きました。
  4. グローバルな現象へ: 近年のマスツーリズムとデジタル時代は、パステル・デ・ナタを世界的な現象へと押し上げました。その魅力的な見た目と心安らぐ味はSNSで最も共有されるお菓子の一つとなり、東京、ロンドン、ニューヨークといった都市にも専門店がオープンするに至りました。

今日、元祖「パステイス・デ・ベレン」の純粋主義者と、「マンテイガリア」などの人気店のファンとの間で交わされる友好的なライバル意識は、この小さな奇跡のお菓子がポルトガル文化においていかに重要な存在であるかを物語っています。それは単なるデザートではなく、味わうことのできるポルトガルの歴史そのものなのです。

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この記事を書いた人

kenichiのアバター kenichi エンジニア・写真家 | Engineer and photographer

日本全国と海外を旅するノマドワーカー。5年間、技術営業として働いたのち独立。
現在は、フリーランスエンジニアとしてWebサイト制作やアプリケーション開発を行う。
趣味はふらっとどこかへ行くことと写真。
2024年11月にポルトガルへ移住🇵🇹

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